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不登校の子の可能性について

▪️不登校の方へ
▪️不登校から救われたい方へ
▪️新しい自分に出会いたい方へ

不登校だからといって、
余生が完結されたわけではない

本日は不登校/不登校の子の可能性について、記事を書きます。

不登校ってなに?

学校に登校していないことを云います。
日本で俗に学校といえば、小学校、中学校、高校とありますが、どの学校の期間が大事で、また一定の期間は学校に行かなくても問題がない。というのは、ないと思います。
というのも、学校に行く、行かないことに論点を争っているうちに当の本人は、もっと、もっと、もっともっと、心のよどみにはまってゆくからです。蟻地獄があるように、不登校地獄があるからです。

 休むごとに、地獄は深まっていきます。

しきりに主観的に述べるのは、以前のブログでもお伝えしておりますが、私も不登校を経験しているからです。嘘は涙のバックボーンを落としてゆきます。
不登校の意味を理解できましたか?

はい、不登校について、なるほどです。私は不登校とは無縁でしたが、小学校のときに学校に来ていない子がいました。中学校や高校にも、そのような子がいました。でも、みんなの話題には、そういう子の話は出てきませんでした。出るとしたら、学校に来たときくらいです。久しぶりに教室にあらわれると物珍しく見てしまいますが、そういう子は、ちょっと暗いというか、無口で何を考えているかわからない子でした。来たかと思うとまた学校に来なくなり、今では名前も思い出せません。不登校の子は学校に来ていないとき、なにをしているのですか?

 みんながそうとは言い切れませんが、少なからず、心の底から笑ったりはしていないと思います。私の場合ですと、現代のようにインターネットやスマホが復旧していなかったので、ネットコンテンツ(SNS、動画サイト、スマホゲームなど)を使用して外部と繋がりをもつことはなく、しかし現代の子が必ずしもスマホで外部と繋がりを持っているとは断定するべからず、私も画面越しの君と同じように自問自答で追い詰められていました。

「このままでいいの?」

「••••••」

「学校に行かなくていいの?」

「本当は行きたいけど、もはや行きづらく••••••でも••••••」

「でもって?」

 でも••••••の後がいっこうに見つからず、テレビの音が流れているはずなのに部屋は無音で、ベットの上で、天井を見つめていた。答えが見つからなかった。一切の会話を拒絶した。
 全てにたいして、いっぱいいっぱいだった。辛かった。判断力が異常だった。自分の存在がわからず、言いたいことも言わず、我慢した。日々だけが過ぎてゆく。
 上述だけでは不登校の問題や不登校の子の気持ちを表現しきれませんが、いま思えば、当時の私は考えすぎていたと思う。
 君もそうなのかもしれない。
 実はそれは変なことではなく、人によって身体や顔の成長が違うように、家庭環境によって心の成長が著しく突出したのだと思う。
 心が歪になったのではなく、感受性が豊かになったのである。
 このブログを読んでくださっている方で、不登校の方がいるかもしれませんが、3点伝えたいことがあります。

■1点目

 君が気にしているよりも、ひとは君のことを気にしていない。

■2点目

 人と違う自分に気が付くことができることは、心が豊かな証である。

■3点目

 学校で出会うひとたちがすべてではない。
 学校の場合は、みんなと違うと変な目で見られたり、仲間外れにされるときがあるかもしれませんが、学校を卒業して社会に出ると、いろんなひとに出会えます。自分と同じ境遇のひとに出会えたり、また自分を受け入れてくれる人とも出会えます。
 しかしながら、学校を卒業して社会にでるまでの期間、時間がとても長く感じ、本当にそんなことがあるのか、今が耐えられない、独り辛くなる夜が永遠に迫ってくると感じてしまう。
 そんなときこそ、文学や音楽は君の味方のなってくれます。

最後に3作品を紹介します。

内容は割愛しますが、どの作品も人間の内面を描き、孤独でも懸命に生きる人間たちを描いております。ぜひ読んでみてください。

・あこがれ/川上未映子

・何もかも憂鬱な夜に/中村文則

・いのちの初夜/北條民生

学校の登校有無の状況だけでは、君を評価することはできない
何かを思える気持ちがあるかぎり、可能性は消えていない。徐々に変わっていけばいい。

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